ガンになる前の日常
いつも通り病気になる前のお話から。僕の当たり前は何だったかというと、寝る家があって、美味しいご飯が食べられて、何気ない日常が毎日やってくるということだった。
朝起きて、『おはよう』と言って、めざましテレビを見ながら朝食を食べる。味噌汁にご飯に目玉焼き。
それから大学がある日は支度をして自転車に乗ってギリギリを駆け抜けていた。大学では友達とたわいもない話をして、ふざけて笑っていた。
帰ってからは家庭教師かアルバイトに行くか、なければちょっとだらだらする。こんなどこにでもいるような大学生と同じ生活を送っていた。それでも、この当たり前が普通だと思っていた。
やりたい運動をやりたい時にやる。野球をやっていた僕にとってこんなの普通じゃんと思っていた。
「普通」が普通ではなくなった
けど、僕が2019年3月に癌を宣告されて、僕の当たり前が一瞬にして当たり前ではなくなった。
『普通』だと思っていたことが普通ではなくなった。
病院にいること、病院に行くことが僕の基準になってしまった。そもそも病院に行けること自体幸せなことなんだけど。
考える時間が増えた。一つ一つのことに対して、何が当たり前なのか?結局答えなんて出ないけど、それでも考えざるを得なかった。
昼下がりの病室、1人の時間が多かった。普段も何もなければ1人でぼーっとすることはあったけれど、その時は何も考えていなかった。
その長い時間の中で気づいたこと?いや、変わったことがある。
僕の中で見えている世界ががらりと変わった。
他人が病気になって、それに対して大丈夫かなとか心配をしたこともあるし、祖父の病院にも通った。でも、どこかで他人事みたいに思っていたのかもしれないことに気づいた。
また、こんなにも不便で、こんなにも病気に負けないように闘っている人がいるんだということを知った。
当たり前の正体
結論から言えば、当たり前の正体はまだわからない。
それでも、ご飯が食べられること、寝ることができること、家族がいること、友達がいること、生きていることがどれほど幸せで当たり前なことではないということを知った。
当たり前は自分で作り上げていくものなのかな?
1日1日がとても大切で、有限の時間をいかにして過ごしていけるかが大事なことであって、それを僕は当たり前のことにしていきたいと思う。