当日朝〜手術室
朝6時ごろに起きて、ついに時はきた、やってやる。こんな強気な気持ちだった。と言えるほど余裕はなかった。
いつもより早く起きて、不安になって誰かに縋りたくて。親友に「頑張ってくる」というLINEを入れた。そしたらすぐに返事が返ってきた。
「おはよう!おう!行ってこい! また、終わったあとに会おう👍👍👍👍」
なんて力強い言葉なんだと勇気をもらった。また必ず帰ってくる、待っててくれる人がいる。かなり勇気をもらった。
それでも時間が近づくに連れて不安が襲いかかってきた。だから僕はTwitterを開いた。
すると前日からたくさんの応援や励ましの言葉が届いていた。泣いた。優しすぎる。会ったこともないけれど応援できるその人並み以上の心の温もりを感じた。
こんなに応援してくれる人がいるなら、僕はきっとまだ大丈夫だ!そして必ず元気になって帰って来ることを誓った。
そしたら両親が到着して、少し話をすると手術の準備に取り掛かることになった。
看護師さんに弾性ストッキングを履かせてもらい、どうやったら履かせやすいかのこつを聞いてなるほどと思いながら心拍数が上がっていった気がします。(看護師さんにドキドキした訳ではないです笑)
あとは歩いて手術室へ。看護学生も付き添ってくれて両親も一緒に手術室の近くまで歩いていきました。
手術前の両親と交わした最後の言葉。
母:ファイト!
父:頑張ってな!
一年前の手術の時同様、少し無理やり明るく振舞っていた気がする父。冷静に応援してくれる母。(内心どうだったかわかりませんが笑)
この言葉を残し、手術室へと向かって行きました。
手術室の中へ入ると、前回の大腸手術の時よりも機材が多く、設備も豪華でした。長丁場の手術のためでしょう。ロボット手術だったのでその機械を見ましたが、
何か少し子供のころ憧れたような機械のカッコよさがありました笑
手術台に座って諸々の確認をしました。そして硬膜外麻酔をする時に。
エビのように横を向いて丸まって背中を突き出すような姿勢をとります。痛み止めの注射が怖くてたまりませんでしたが、思ったほど痛くなくて、一年前と比べてすんなりと進んでいきました。
薬が流れるか確認し、仰向けに。酸素マスクをつけられて、体も固定され、いよいよ全身麻酔の時がやってきました。
「眠くなるお薬入れますね」この声を聞いてすぐに左手の点滴から薬が流れ込んでくる感覚があるな〜なんて思ってすぐに意識がなくなっていました。
手術スタート。
手術後すぐに
さて、僕の意識が戻ったのが手術室に入った8時30分〜全身麻酔をかけてもらった時間から約11時間後の20時ごろでした。
ICUの中にいました。
目が冷めてすぐに気持ち悪くなり吐きました。すると楽になりました。
体にはたくさんの管など繋がれていました。
硬膜外麻酔の点滴
左手の静脈点滴
左手の動脈に血圧を把握するカテーテル
鼻の胃液などを排出する管
酸素マスク
右の首元には肺へと繋がる管?
右手にも静脈点滴
尿を出せるようにするバルーン
切除部の安全確認のためのお腹の側面近くにドレーン
足に血栓ができないようにする圧をかける機械
傷口の保護テープ
おそらくこんな感じだった気がします。
先生が無事だよってことを伝えてくれて、両親と少しの面会。
皮膚に発心が少しでましたが、すぐに収まりました。
痛みと麻酔の残りからぼんやりしながら、時間がすぎるのをずっと待っていました。寝ても10分〜15分後には起きてしまう。
なかなか時間がすぎない。痛い、辛い、息苦しい。そんな思いをしながらもなんとか当日の夜を乗り越えることができました。
術後1日目
人生で初めてICUに入って朝8時ごろには酸素マスクも外してもらうことができ、体に繋がれているものが一つ減りました。
時間がすぎるのが遅い。この感覚がめちゃくちゃ嫌だった。
色々な痛覚がはっきりしてきて、体を動かしたくないけど、背中が痛い。かかとが痛い。お尻が痛い。傷口が痛い。こんな感じだった。
体拭きとか色々してもらい、午前11時ごろにはHCUに移ることに。その前に鼻の管を抜いてもらった。抜く時なかなかに痛い。でも痛いのは一瞬で鼻の異物感がなくなったのはよかった。
もう一つ首から入れていた管も抜いた。この時注意されたのが管を抜く時に呼吸をしないということ。ほんの3秒程度呼吸を止めるだけだから全然問題なかった。
しかし、ここから問題が起きた。
首の管を抜いたことによって、痰がからむようになった。お腹を切っているので咳をするにも痛すぎてなかなかできない。
だから、看護師さんから痰を喉から剥がし、柔らかくする吸引機を提案してもらってそれを使ったら体が楽になった。
何もすることもできないのでひたすらに寝ていた気がする。数十分ごとに起きてしまうけれどとにかく早く時間がすぎて欲しかった。
ベッドの角度は試行錯誤しながら痰がきつくならないような角度を探し続けた。
そして実はこの日熱が39度くらいあった。それなのに看護師さんに
って聞いていた僕はバカだったんだろうか?笑
術後は早めに歩かないといけないが、これだけの熱があるとフラフラして転んだりしたら危険だから普通は歩かなくても許されるらしい。←つまり僕は異常者なのかな笑
約20メートルほどの往復をした。
すると夕方になり、両親と面会した。思ったより話をすることができて、歩いた自慢もした。早く退院できるように頑張ったと伝えたら笑いながら褒めてくれた。
それでも夜になると痰のからみが酷く、寝るに寝れなかった。苦しいけど咳が思ったようにできない。痛み止めなどでごまかしながらなんとか少し眠ることができた。
術後2日目
朝、何度も起きた。たくさん辛いことを看護師さんに伝えた。それに対して看護師さんは耳を傾けてくれて親身に聞いてくれた。とても有り難かった。
この日は10時ごろに左手に入っていた血圧を測る管を抜いてもらった。
そして体拭きもしてもらった。急遽別の看護学生が見学をしていいかと聞かれたのでそれももちろん了承した。色々とお話をした。
この日の方が痰の絡みが酷く、吸引機を使っても気休め程度にしかならなかった。すると先生が痰切れを良くする薬を出してくれてちょっとずつ楽になった。
この日からツムラの漢方(大建中湯)を午前に2包、午後に2包を飲むことになった。
メーカーによるとこの漢方は手術で繋いだ部分がほつれないようにする効果(縫合不全を防ぐ)があるらしいことを看護師さんがお話してくれて、それを信じて飲んだ。もちろん腸の働きを良くする効果もある。
この日は午後には尿の管であるバルーンを抜きました。これもまた痛い。そして管を抜いてから最初の1回目のトイレがきつい笑
それでもこの日はお手洗いに4回ほど歩いて行ったのでかなり歩いた気がします。
この日も熱があったので、氷枕をふんだんに4つお願いして、頭、背中の両サイド、太ももの下に入れて完全冷却していました笑
思ったよりこれが痛覚を抑えてくれて楽でした。
歩くとき、せきをするとき、痛い部分を軽く手で抑えると痛みが軽減されるよって看護師さんに言われたので、その通りにするとかなり軽減されました。
この時、看護師さんが魔法使いというか天使に見えました笑
「触覚>痛覚」 という関係は以前「チコちゃんに叱られる!」で紹介されていたようです。
それはさておきこの日も両親が面会に来てくれて話をしました。この日は学校の休校要請の話で盛り上がりました笑
あとはくだらない話と、その日頑張って歩いたことも話をしました。
夜は案の定、痰の絡みで寝にくかったです。
術後3日目
朝起きるとやはりお腹の張りがあり、吐き気がありました。吐き気どめで抑えました。
それでも嬉しいことに、全然出なかったガスが出ました。おそらく一生懸命歩いたおかけで腸の動きが良くなったおかげでした。
この日には足の圧迫をする機械が取れて、弾性ストッキングも脱ぐことができました。
この日からオムツも終わり、普通のパンツに戻しました。
そして体拭きをこの日もしてもらいました。
11時ごろ一般病棟に移ることに。嬉しさ反面、寂しさ反面。素晴らしい看護師さんたちが揃ったHCUを忘れません!
そして一般病棟ではリハビリのために歩いたりしました。土曜日だったので兄と両親がお見舞いに来てくれました。
センスのある兄は本を持ってきてくれました。その本は「サラリーマン山崎シゲル」とお腹の傷の痛みもあるのに笑いを取りにきてくれました。死ぬほどお腹痛かったです。
夜になると、なんと食事が始まりました!食事が生きがいの僕にとってはガッツポーズ。
腸を切ってないから食べても良いそうで、三分菜から始まりました。全部は食べず半分ほど食べました。お腹の張りがあったため、夜少しだけ吐いてしまいましたがきつくなく大丈夫でした。
夜は両親にお願いしてテレビ電話で愛犬たちを愛でて、頑張る力を分けてもらいました!
足りない部分とかはありますが、書ける範囲で書いてあります!
この続き(4日目以降)はまた書きます!
今日の好きな言葉
バットを振らなければ何も起こらない。見逃しの三振だけはするな。
by沖田守
今日の癒し画像