闘病日記

泣くということ。

がん宣告を受ける

僕が病気になって初めて泣いたのは、3月18日に病気を宣告されて、その1時間後だったと思う。22年間という短い人生を経験してきて、初めて目の当たりにした「死」だった。

両親と病院の先生と一緒に自分がどのような病気なのかを細かく説明された時、両親の足がずり落ちていくのを隣でみて、ああ僕は何で病気になってしまったんだろうか。大切な両親、めちゃくちゃ愛情を注いでもらった両親を悲しませてしまうなんて。

僕はその場では泣くことができなかった。なぜなら、そこで泣いてしまったら両親の我慢が無駄になってしまうから。

 

初めて心のそこから泣いた

病室に戻ったあと、僕は自分の知り合いや友人、ほとんど全ての人に自分が大腸ガンであること、転移があることを伝えた。

その時、自分の頬から水が滴っているのがわかった。涙を流す、泣くということは、誰かのことを思うからこそということである。泣くことが得意ではない自分は少しの時間しか泣くことはできなかったけれど、心のそこから初めて泣いた。

 

自分の心の強さと弱さを知った

3月27日、それまでの1週間で約80人の友人や先輩、親戚の方がおお見舞いにきてくれていたので手術はきっと乗り越えられると思っていた。でも、そんなに自分の心は強くなかった。怖い怖い怖い、助けて助けて助けて。声に出すことはできなかったけど、本当に怖くて逃げ出したかった。

それでも手術の前にお見舞いに来れなかった友人からたくさんの人のメッセージがこもった色紙をもらって、少しの時間涙を流した。そのおかげで手術に向かうことができたと思っていてとても感謝のありがとうでは足りないくらい嬉しかった。

 

泣くこと

人のことを思って泣くことができるようになったことは僕にとってかけがえのないことの一つになった。

23歳にして、この経験をできたことを誇りに思うと共に、人の力の偉大さも学ばせてもらっている。泣くことは決して恥ずかしいことではないし、むしろ素晴らしいこと、生きるために必要なことだ。




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