闘病日記

初めて死にたいという気持ちがわかった話

2019年5月、2回目の抗がん剤

2019年5月のゴールデンウィーク明け、僕は1回目の抗がん剤の経験から、抗がん剤余裕で乗り越えられると勝手に思い込んでいた。血液間のがん細胞の移動をブロックし、他の抗がん剤をよく効きやすくするアバスチンの点滴投入が始まった。次にトポテシンという薬を点滴で入れる。副作用で急な発汗や吐き気がくるものなので、それを抑えるためにブスコパンを点滴で入れた。トポテシンの点滴は約1時間で終わり、次にエルプラットともう一つの薬を同時に2時間かけて入れていく。その終わりがけに急にものすごい吐き気がしてきて、吐きながら帰宅をした。

すぐよくなると思っていた

帰宅して、かなり気持ち悪かったので、すぐにベットに横になって寝ることにした。きっとすぐによくなる。そう信じて眠りについた。その1時間後、またしてもひどい吐き気がやってきた。やばい、吐く、吐く、吐く。母親をよんで、処理してもらったが、一向によくならない。その後は15分間隔で吐き続けた。何もお腹の中に入っていないのに、水分もまともに取ることができていないのになぜか吐いていた。しゃっくりが出て一層きつくなり、しゃっくりと同時に吐いた。

楽になる気配を感じない

もう限界だったので、病院に連れて行ってもらい、入院することになった。2〜3日の入院でよくなるだろうと思っていた。吐き気がずっと続いていたので6時間間隔で吐き気どめを入れてもらったが、全く変わらなかった。昼中、夜も吐き続け、寝ることもままならず、寝れたとしても1時間ごとに起きてしまう日が続いた。吐きすぎて食道が切れて血が出てきたときはめちゃくちゃ焦った。血を吐いた時は、身を守るためか体が少し楽になった。でも4日間ほどきつさは変わらない日が続いた。

死にたいと思った瞬間

4日、5日ほどそのような日が続いた時、ふと外を眺めていた。ああ、ここから飛び降りることができたら死ぬことができるのだろうか、もう少し高い階に行って飛び降りようか。そんなことを考えるようになった。いつまでたっても楽にならないのならば、早く死んで楽になろう。吐くたびに僕は死へと近づいていると感じるようになった。こんなに辛いことを耐える必要があるのだろうか。メンタルもかなりやられていた。母親に向かって「死にたい」と言ってしまった。こんなひどい言葉を投げてしまったことが悔しくてたまらなかった。

それでもやっぱり生きていく

6日たった時ようやく体が楽になってきた。そんな時に親友の母親がお見舞いにきてくれて、「死にたい」と母親に言ってしまったことを話すと、「それは生きるために、頑張るために言ってしまったことだから大丈夫、お母さんもわかってる」と言ってもらえて心が軽くなった。やっぱり生きていたい。どんなに辛くても生きていたらきっと楽しいことが待っている。そう思えたことが幸せだった。親友からの電話も嬉しくてたまらなかった。「ありがとう」この言葉は一生大切にしていく。




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