闘病日記

僕の人生のお手本

人として

僕は関わりのある人は基本的に人として尊敬するし、大切な存在であると思う。

僕は生まれてから、たくさんのやりたいことを好き勝手やらせてもらってきた。それは父が残業をしていつも頑張ってくれたから、できたこと。

もちろん母や兄、妹、祖父母の助力も大きな力となっていた。今回はその中でも僕が今思う、父への感謝の気持ちや考え方を述べていきたいと思う。

 

尽くしてもらった贅沢な日々

僕は本当に贅沢をさせてもらった。中学生では硬式野球のクラブチームで野球をやらせてもらって、毎週大変な送り迎えや遠征の配車をしてもらって、休みのほとんどの時間を僕に費やしてくれた。

文句や不満はほとんど言わなくて、どうしたら打てるようになるだろうか、どうしたら上手くなれるだろうかと、ほとんど経験のない野球の知識を集めて帰り道にいつもその話をしてくれた。そのおかげか中学3年間で約200冊ほどの野球の本が家に置いてあった。

高校へ行ってからも野球と塾に行かせてもらって、大好きな野球を常に見にきてくれた。大学も名古屋大学に入るために浪人させてもらって、お金もものすごくかかったと思う。それでもずっと僕のことを応援してくれていた。

 

父の愛情に幸せを感じた

僕は大学4年の就活の時期に色々と将来について悩んでいたけど、そんな時も少し厳しく色々と教えてくれた。そんな最中、僕が病気になった。

入院することになって、僕はすぐに治るんじゃないかなと思っていたんだけど、入院翌日に大腸カメラをとって、夕方主治医の先生と父母と僕の今の現状について話す機会が設けられた。夕方5時過ぎから話が始まった。

椅子に座ると主治医の若い先生は涙ぐんでいて、なんでこんな暗いのかなって。

先生の話、「おそらく君は大腸ガンで間違いない。そして肺と肝臓に転移がある。ステージ4だよ」

この話を聞いた瞬間、僕の隣に座っていた父親がずり落ちていくのを目の当たりにした。相当なショックを受けていたんだと思う。母親も涙をこらえていた。

僕はその姿を見たときに、なんて幸せ者なんだと思ってしまった。こんなに僕のことを考えてくれていて、大事に思ってくれているんだと。僕はその話を聞いたときに、思ったほどショックを受けなくて、すぐに治すしかないじゃんと切り替えれていた気がする。

それも、きっと父親や母親の前でかっこいい姿でありたいと思ったからなのかよくわからないけど、なぜか元気だった笑

 

手術を乗り越えられた一つの理由

それから、手術までの入院期間中、毎日仕事を途中で切り上げて病室に顔を出してくれた。とてもとても嬉しかった。

父親が少しずつ痩せ始めた。ご飯が喉を通らなかったらしい。僕はそんな姿を見て、自分がしっかり笑って元気な姿を見せることをしようと思った。

何気ない会話とか、僕が勝手に喋っていることを嫌な顔せず聞いてくれた。だから僕の入院生活はきっと寂しくなかったんだなと今思う。

手術前になって、めちゃくちゃ怖くなって、泣いて、それでも手術前に父親と交わした握手は今でもはっきりと覚えている。震える手で、涙を我慢して強く、優しく握ってくれた。

「頑張れ」

その一言だけで心が軽くなった。僕はそのおかげで胸を張って手術室に向かうことができたんだ。

 

偉大な父へ

今は通院しながらの自宅療養だけど、僕の体のことを常に心配してくれて、ちょっと過剰じゃないかって思うこともあるけれど、とても嬉しい。

僕はまだ23歳で、子供もいないし結婚もしてない。だけど、僕は自分の父親のいいところを一杯見つけたし、まだまだこれからも見つけていきたい。そして、僕が父親になれたら、僕は父のような優しいお父さんになりたいと思う。

照れ臭くて面とむかって、心からのありがとうはなかなか言えないけど、

「いつもありがとう、僕は幸せ者です」と伝えたい。

 




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