手紙 闘病日記

何年経っても親友でありたい

僕の一番大切な親友

僕にはとても尊敬できる唯一無二の親友がいる。

 

親友の定義って何かわからないけど、僕がそう思っているのだからそれでいい。

 

僕と親友の出会いは小学生のころ。どんな出会い方をしたかあまり覚えていない(笑)

 

僕が少年野球に入って練習にいっていたらその数ヶ月後に入ってきた。とても足の速い子だった。少年野球の最高学年では親友がキャプテンで僕が副キャプテン。

 

親友が大きな声を出せば僕も負けじと声をだした。喧嘩もたくさんした。そのころは仲間でありライバルだった。

 

中学に入ると別々のチームに入って、あまり遊んだり一緒に野球をする機会がなくなった。高校のころは別のチームだったけど、練習試合をした。

 

この時はそんなに一緒に話をする機会もなかった。それでも家族ぐるみの付き合いがあって、僕の家でパーティーをした。

 

僕の親友はよく家に遊びにきてくれるようになった。小さい頃の付き合いからか、インターホンを押さずに「こんちはー」とか「ウース」とか言って家に入ってくる。

 

そこまで仲の良い関係になれる人は人生に置いてそういないというか珍しいくらいじゃないだろうか。僕はこのやりとりを気に入っている。

 

病気になって、1番に電話して駆けつけてくれた親友。僕はこの時、とても勇気をもらったんだ。

 

手術の前だって、僕の心が狭く弱くなっているときに、たくさんの寄せ書きが書かれた色紙をたくさん持ってきてくれた。

 

僕が病気になってからたくさんの人に呼びかけて書いてもらってくれていた。それを仕事終わりに急いで駆けつけて持ってきてくれたのはとても嬉しかった。

 

抗がん剤できつい時だって、電話したら愚痴を聞いてくれて、副作用抜けたら遊びいこやとか僕が元気になれるように考えてくれる。

 

そんでもって僕に新しい趣味「釣り」を作ってくれた。旅行にだって行った。2019年は年間で30日くらい遊んだんじゃないかなと思う。

 

とても大切な親友です。

 

数年後の未来へ

僕は数年後もこの親友とずっと笑っていたい。どこかに遊びにいくのも、野球をするのも、釣りをするのも。

 

僕は親友の前で滅多に泣かない。それは我慢しているからとかではなくて、笑いあえる関係でいる方が楽しいと思えるから。

 

30歳、40歳、50歳になっても僕と遊んでください。そんでいつか僕の病気が治った時に祝杯をあげよう。

 

未来を生きたいと思わせてくれてありがとう。

 

感謝を込めて。

まだまだここに書いたことはほんの一部しかない。書きたいことは山ほどある。

 

恥ずかしいという気持ちもあるけど、それでも伝えないと後悔するから今伝える。

 

「本当に僕の親友でいてくれてありがとう」

 

 




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