やめる勇気
このタイトルをみて、ちょっと親近感を覚えてくれた人がいるのではないだろうか?
「嫌われる勇気」という有名な自己啓発本のタイトルから少し言葉を変えて見出しに使わせてもらった。
「やめる」
この言葉には昔からマイナスなイメージがあって、僕はやめることは自分の成長を止めること、諦めグセがつくよくないこと。そんな負の決断であると思っていた。
僕はいろんなことをやめてきた。
小学3年生の時に保育園のころからやっていた水泳をやめた。書道も3年間でやめた。小学3年から始めたそろばんも小学校卒業の半年前にやめた。
全身全霊をかけてやる野球も大学1年でやめた。
たくさんの「やめる」を経験してきた。年上の方に比べたらやめていないかもしれないけど、僕自身はたくさんのことをやめてきたと思っている。
やめるのにはとても勇気がいる。期待を裏切ることになるかもしれないし、この先上手くいかなくなるかもしれないし、すぐやめる人だと後ろ指さされるかもしれないし。
何かを始めるのと同じくらいやめることに決断は必要だ。
たくさんの検討を重ねた結果やめるのだ
だから
「やめる=諦める」
ではなく
「やめる=英断」
であると僕は思っている。
やめる判断基準
僕は「やめる=英断」と言ったが、なんでもかんでもやめればいいという話ではない。
きっとこの文章を読んでくれている方もわかってくれていると思う。
それだったら何をやめたらいいのだろうか?
いや、別に今やめるものがない人、やめる必要がないことだってあるから一概に何かをやめようとは言えない。
ただ、今の人生が窮屈ならばやめる必要があるものがあるのかもしれない。
そんな時に必要になってくるのは判断基準や自分の中にやめるための法則を作る必要がある。
僕が何かをやめる時にいつも決めている判断基準がある。それを以下にまとめてみた。
興味を持てなくなった時
やっていることに対して興味を持てなくなった時が潮時であると思っている。
なぜなら興味が持てないことに対してワクワクしないし、そのために最善の努力もしないからだ。
もし興味を持てなくなってもそれを惰性で続けているとしたらそれは人生を損していると僕は思う。あくまで僕の基準だ。
他にやりたいことができた時
僕は他にやりたいことができた時、全てをやめる訳ではないけど多分この先やらないだろうなってことはやめるようにしている。
やりたいことが分散しすぎると集中力がなくなり、きっと色々と中途半端になってしまう。
そうすると多分どんどん沼にハマり、成長スピードが落ちる。
すると興味が薄れていく。
やりたいことができた時に没頭できるような余裕を生むことが大事だ。
それをやり切ったと心から思えた時
僕はそろばんをやめた時、本来ならば小学校卒業まで続けるつもりだった。だけど、僕はそろばんをやり切った。そう思えたからやめた。
やり切っていないのにやめてしまうと後悔をする。後でこうすればよかったとか引きずる。
だから心の底からやり切った、もう満足だって思えた時にやめるようにしている。
やめたその先の光
僕はやめることを決めてやめたことで、得たものがある。
それは「未来への投資をする時間」だ。
検討をしつつも、決断に迷いをなくすことによって未来の時間を有効に使えるようになった。
時間は有限であり、若い時の方がやりやすいことだってあるし、若いうちに積み重ねていかないと届かない目標だってあるかもしれない。
もちろん30、40、50、60代になろうが若いという気持ちを持ち続けることは忘れないけどね。年齢を言い訳にして諦めることはしないつもりだ。
やめることでもう一つ得られたことがある。
それは「新しい出会い」だ。
やめることで新しいことを始められる。すると今までのままなら出会えなかった人たちに会うことができるのだ。
将来あなたの助けになってくれる人に出会うかもしれない。そんな新しい出会いがもたらされるかもしれない。
現状に不満があるならば、「やめる」ことを悪いことだと思わないで、「やめる勇気」を持ってみてはどうだろうか?